日本磁器発祥の地 有田
有田焼とは、現在の有田町やその周辺で生産された磁器
の総称で、江戸時代には有田皿山で作られた製品が伊万里
港から積み出されたために『伊万里焼』または『伊万里』
と呼ばれました。
豊臣秀吉が朝鮮へ出兵した文禄の役(1592)慶長の役
(1597)の後、開窯されました。特に有田では17世紀初頭
に有田泉山で良質の磁器原料が発見され、日本で最初に
磁器が焼成されたところでもあります。その技術と伝統は、
世界に君臨するまでに発展・成熟し、400年を経た現在へも
受け継がれています。


波佐見焼と言えば、染付と青磁が中心ですが、始めは施釉陶器を生産していました。 慶長七年(1602)に良質の陶石が発見され、しだいに染付と青磁を中心とする磁器へ移行 し、波佐見に皿山役所を設置し、三股山、中尾山、永尾山を管理して、磁器を大村藩の特産としました。 その後、藩の保護の下、次々と登り窯が築かれ、また、各地の陶工たちも集まり、現在ま でに全国有数の和食器の陶磁器産地に成長しました。 江戸地代は白磁が多く作られ「くらわんか茶碗」と呼ばれる簡素な染付文様を描いた飯碗や、「コンプラ瓶」とよばれる海外輸出用の酒瓶は当時波佐見焼の代表的な焼物でした。 現在あまり名前が知られていないのは、伊万里港や、鉄道が発達してからは、有田から発送していたために、伊万里焼や有田焼として取り扱われたためです。



磁器の主原料として、天草陶石を使用しています。これは、焼き縮が少なく、適した粘り気があり、焼き上げてみると上品な白さが出ます。波佐見焼の第一の特徴である、透けるような白磁の美しさの秘密がここにあるのです。



(成型)


土をこねたものを、機械で
均一の形に作ります
この写真は機械ですが、他に
ろくろ成型があります。


(削り仕上げ)(素焼)


成形の後、素地を削って整え仕上げたものを、風通 しがよく日の当たるところで充分に乾燥させます。その後、窯に入れ約900度で焼きます。下絵付や釉かけをしやすくするために必要な工程です。

(水拭き仕上げ)







(下絵付)


素焼に、高温で発色する顔料(下絵具)で絵柄を付けます。
呉須による染付が代表的。


(釉がけ)


表面が滑らかになるよう、釉薬(ゆうやく)に浸し、仕上げます。


(本焼)


約1300度で焼きあげます。釉薬は高温で溶けて、表面 に薄いガラス質の膜を作ります。装飾や表面を滑らかにするほか、吸水性をなくし、硬くする目的があります。


(本焼が終わった製品)






(上絵付)


低温で溶ける顔料(上絵具)で、釉の上から絵を描きます。赤絵や金彩 などが多い。その後、約800度で焼きあげます。


(赤絵窯に入る前の製品)







(検品)


完成後は、厳しい製品検査を行い、
ひとつひとつていねいに梱包して、
全国に出荷されます。



(完成)


九州長崎出身のたつきの料理長と、旧知の間柄である、島崎陶苑さんに、たつきの
器はほとんどお世話になっています。

料理長が帰省の折に、気に入った器を
チョイスさせていただいています。

そんなわけで、島崎陶苑さんには、先代の
頃から、もうずいぶん長いことお世話になっています。
今は、急逝された前社長にかわり、若干
26歳の娘さんが、後継者になられ、若い
感性を取り入れて、販売促進のために、
頑張っておられます。

もし、たつきへおみえになり、気になる器が
おありでしたら、島崎さんのほうへ、問い合わせていただければ、市価よりお値打ちに
小売もしていただけるそうです。
お問い合わせはこちらへ
島崎陶苑
みずたまホームページ
長崎県東彼杵郡波佐見町村木郷172-5

TEL.0956-85-7401
FAX.0956-85-7408

自由…mid
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